かつてトンネルや鉄橋には見張り役がいた!
|鉄道むかし話

2012-05-21更新

明治時代から昭和のはじめにかけて、国鉄には、
現代では考えられないユニークな職があった。
「隊道番」と「橋梁番」である。「陸道番」はトンネルの見張り番で、 「橋梁番」は橋の見張り番だ。 どちらも、いつごろから設置されたのかは定かでないが、初めは正式な鉄道係員ではなかった。同じく正式な鉄道係員ではなかった線路工夫や踏切番などとともに、正式に鉄道係員として規定されたのは、一九○○(明治三十三)年に定められてからのことだ。
その後、一九一二(大正十)年に、「健道番」と「橋梁番」の職名は、「健道看手」と「橋梁看手」に改名。一九二九(昭和四)年に廃止された。
このトンネルや橋の見張り番は、具体的にどこに配置されていたという記録は残っていないのだが、大きな橋やトンネルにはいたらしい。橋では富士川や天竜川に、踏切番を兼ねた橋梁番がいたことがわかっている。隆道番はトンネルの見張りのほか、蒸気機関車の時代ならではの役割があった。
かつてトンネルには、列車がトンネルに入ったあと、入り口を垂れ幕で閉ざして、蒸気機関車の煤煙が列車と同じ方向に流れるのを防ぐ排煙装置が設けられていた。
排煙装置は一八九四(明治二十七)年ごろ、イギリスのトレビシックが考案した装置で、日本でも一九○八年ごろから採用されたのだが、この幕引き作業が健道番の仕事のひとつになっていた。つまり、この装置のあったトンネルには隆道番がかならずいたわけである。また市電には昼間は旗を、夜は提灯を持って通行人がはねられないようにする提灯番と呼ばれる見張り番がいた。東京ディズニーランドのトゥーンタウンに市電が走っているが、まさしくそこにかって提灯番が配置されている。
ただしここでは格好いいおねえさんがそれをやっているのだが…。